導 入 

このWebサイトは紅型,陶芸,織物,漆器の4分野の歴史と技法を各3分程度の映像で紹介します。また沖縄県立博物館等の協力を得て,各分野の資料を加えました。このWebサイトの目的は,伝統工芸の特徴や作業工程を具体的に示して,理解を深めてもらうことにあります。
また,どのような場所で工芸品が作られているのか「読谷村やちむんの里」を例に上空から紹介します。

 

伝統的工芸品とは? (定義)

■「伝統的工芸品産業の振興に関する法律( 伝産法)」に基づき、経済産業大臣が指定した工芸品。
■指定の要件
① 日本人の生活に密着し、日常生活で使用されるもの
② 主要工程が手作業中心(手工業的)であること
③ 技術・技法が100年以上の歴史を持ち、今日まで継続しているもの
④ 100年以上の歴史をもつ伝統的な原材料を使用したもの
⑤ 一定の地域で、地域産業として成立しているもの


統一王朝時代

琉球王国は独自の国家として成立しましたが、国内の権力基盤が不安定だったため、王統の交代も起こりました。しかし琉球は、明( 中国) との活発な進貢貿男を背景に、東アジア有数の貿男国家として繁栄します。第二尚氏の3代目にあたる尚真王は、海外貿男を重視しながら、奄美・宮古・八重山に対する統治を強化し、国王を中心とした制度を整え、より強固な国家体制をめざしました。
 
■冊封と進貢(さくほうとしんぐう)
1368年に成立した明(中国) は、対外関係を厳しく制限しました。皇帝の間封をうけ、進貢(朝貢)する外国に対してのみ貿易を許したのです。東アジア最大の大国である明国との関係を築き、貿男を行うために、多くの国々が間封・進貢(朝貫)関係を結びます。琉球も1372年に明との関係をス夕一卜させ、それ以降、東シナ海(東海) を頻繁に往来するようになりました。中国との密接な関係を背景とする琉球王国の歴史が始まつたのです。

冊封使行列図

アジアとの貿易

琉球は、明(中国)との進貢貿易を支える晶物を確保するため、東アジア諸地域との活発な貿易を行いました。日本や朝鮮だけでなく、シヤムジヤワ・マラツ力など東南アジア諸国との貿易も展開しました。しかし、16世紀になるとポル卜ガルなど西洋諸国の東南アジア進出や、明の海禁政策のゆるみによる中国商人の積極的な貿易活動によつて、東南アジア諸国と琉球との貿易は衰退し、やがて途絶えました。

進貢船
 
出典:沖縄県立博物館・美術館展示ガイドより

導入映像

(3:00)

■博物館収蔵品や沖縄の工芸歴史等
■撮影協力:旧沖縄県立博物館(首里)
ナレーション:
 私たちの住む沖縄、まばゆいばかりの太陽と、光が織りなす南の島に、息づく数々の工芸品は、どこでどのようにして生まれたのでしょう。沖縄には海の彼方に神々がいて、そこから幸せが来るというニライカナイの信仰があります。
 日本、中国、朝鮮、東南アジアの中心にある立地条件、沖縄北西を流れる黒潮と、世界でも季節風が発達する有数の地域である自然環境は、海洋国琉球を誕生させました。季節風と黒潮を利用し日本、中国、南方諸国の諸技術は海上の道をとおって持ち込まれ、15 世紀には海のシルクロードの栄華を極めました。琉球国は14 世紀から中国と交易し、それらがもたらした造船、航海技術は15 世紀に開花し、中国との親密な関係を確立するとともに、東南アジア諸国とも交通も盛んになり、史上空前の大交易時代が到来することになります。
 交易を通じて沖縄に新しい刺激を与え、接触反応による胎動が起りましたが、1609年薩摩の琉球国侵入の結果、首里王府は貿易中心から産業中心へと方向を変えることになります。17 世紀から18 世紀にかけて絵師や、工芸技術者を派遣し積極的に諸技術を導入し、それらが根強く現代へ受け継がれているのです。