金城満の仕事,沖縄の芸術家,絵画,写真,音楽,美術教育,平和教育,石の声,佐喜眞美術館,画廊沖縄,表現行為,免疫,琉球大学教授

【内容の要約】

 平成7年6、7月に開邦高等学校芸術科美術コースが取り組んだ沖縄県立中部病院壁画制作の実践である。中部病院の担当者からの依頼を受け、その主旨と現場の調査から制作を受託。実践の経緯と、テーマの決定理由、作業行程が生徒達の制作記録で具体的に提示されている。また、作業現場写真と共に各行程を4つに分け、作業効率の必要性と方法が示されている。成果と課題ではこの実践を通して美術、芸術の役割や社会的機能が、「人を幸せにする」ことを目的としている点でまとめられている。

1995年(平成7年6〜7月)

 沖縄県立開邦高等学校芸術科美術コース2年16名(全員女子)で取り組んだ沖縄県立中部病院壁画制作の実践である。中部病院の担当者から「殺風景な放射線治療病棟の壁に何か明るい絵をお願いできないものか・・」の相談を受けた。後日現場へ行き、治療室へ入った瞬間、相談の理由が瞬時に感じ取れた。 
 分厚いコンクリートの壁、冷たい蛍光燈、
巨大な鉄の塊の放射線機器、低周波音。小児性がん患者である子どもが毛糸の帽子をかぶり病室着で治療病棟から出てきた。
 また以前に、親川智子の詩集「鳥になって」(ニライ社 1989/12) を授業で取り上げていた。彼女はこの病院で小児性がんで亡くなっていた。
 そのようなことから、念のため、という程度の気持ちで中部病院に行った。しかし現場の持つプラス、マイナス両方の力に動かされ、帰る頃には制作の段取りを考え始めていた。


 取り組みの性質上、授業の一環としての部分と、ボランティアの性質の両面の重ねあわせが可能かを校長に相談、科で調整して、授業部分を「環境デザイン」の課題として行った。送迎は病院のバスをお願いし、現場での制作期間は2日間と定め実施した。したがって、全ての下準備を学校で完了して現場へ臨む必要があった。
 テーマは「鳥になって」から自然をモチーフに展開することになった。


      (制作前の放射線治療室)
 はじめに壁画を施す病棟の20分の1サイズの模型を作成、その壁に番号を振り、サイズや比率に応じた下描きを計画。各壁に下描き案を作って実際の模型に貼り、あらゆる角度から検討。模型の中を20分の1サイズの人間を想定して見え方をチェック。その過程で判明した検討を要する点は、壁の向き、絵の向き、人の出入りの方向性である。例えば、鳥や、イルカの顔の向いている方向が病棟の内へ向かうか、外へ向かうかの選択である。特に、長い治療室への廊下の入り口では大変重要である。それは、冷たい治療室に一人寝かされ放射線治療を受ける患者にとって、長い孤独な時間を少しでも楽に受け止めて欲しいとの願いである。一つ一つのモチーフの方向性と、病棟全体での補完性を考え全体のデザインの方向が調整された。その決定案を元に、実物大の下描きをOHPで拡大、数枚に分割して作成した。その面積比でペンキの量の確保と調色を終え、現場への準備を整えた。

マスキング作業

希望の象徴としての{虹}

各壁画が繋がっていく

治療室への長さ12mの廊下

「鳥になって」から

二日目の作業風景

入口から壁画に導かれ治療室へ

病から、やがて健康への時間の移り変わり

やり遂げた生徒たち

まとめ

 生徒達は自分たちの出来る事で社会貢献へ関われたという事が大きいのではなかったか。
 美術を専門に学んでいる科であり、将来的にも美術の方向を目指している生徒達である。その思いは美術の本来の目的を考える大きなきっかけになったであろう。

 この取り組みは翌年、「石の声」というプロジェクトへつながった。共通したテーマは「命」である。美術表現と「命」のテーマは根源的な所でつながっている。それは、美術、芸術の役割と社会的機能が、「人を幸せにする」ことを目的としているからだ。人を不幸にする美術や芸術が成立し得てない事実からも明らかだろう。この取り組みは病院関係者とともに、当初の目的を達成出来た言えるだろう。

「鉄の記憶」

「迷い鯉」

「石の声」

「壁画制作」