■状況−Identity■金城満展 シリーズ「楽園」
MITSURU KINJO exhibition 2014/5/10(土)〜25(日)画廊沖縄
油彩
ドローイング
会場の様子とガラスのオブジェ
メッセージTシャツ・Way
DM&フライヤー
モウ、シンダフリハヤメロ!
金城満 (The Gallery Voice 57) 原稿
窯に瓶を入れ、温度と時間を変えて熱すると原形を留められなくなる。
ある温度までは何の変化も見せない瓶が、一端形が変化し始めると一気に歪み、陥没し、ヘタってしまう。さらに温度を上げると液状化してガラスの塊になり最後は平板になる。瓶は窯内で直立や横向きなど置き方を変えると、全く意図しない形になるものがある。シリーズ「楽園」はこの方法で作った瓶の立体・平面作品、メッセージTシャツで構成されている。立体作品は窯から出した歪んだ瓶の姿。平面作品は、瓶が薄いガラス板に置かれた画面構成である。通常の静物画などの画面構成とは異なり台座の下に光源があり、形が下から浮かび上がる。写真のネガを確認する時に使用するライティングテーブル同様、焼き付けられ反転した現実世界を映し出す装置である。そして箔の貼られた背景の輝く闇が、歪んだ瓶を浮かび上がらせる。またメッセージTシャツでは歪みをまとうことでの、疑問の身体化を図った。
さて、シリーズ「楽園」を、現在の日本または沖縄の状況に重ね合わせてみる。ゆるやかに湾曲し歪んだ瓶の姿は、原発問題や基地問題同様の、矛盾した骨格を内包している。原発は日本の辺境に散在し、電力需要は都市部に集中する。基地は沖縄に7割が集中し、安全は沖縄以外に7割以上保障される。そして危険度は常に命に関わる、強く高いレベルで集中させられている。仕方無さなのか、見返りなのか「驚くべき立派な内容」が提示され、驚くべき立派な理解の求め方が今も続いている。安全保障とは誰に何を保障しているのだろう。執拗に圧力をかけ続ける権力は時間、金、人の要素を組み合わせて、手を変え口を変え、巧みな手法を見せ続けている。瓶が割れない様、ゆるやかに歪めていく。まさに匠の技である。
瓶は、その圧力から逃れようとする意思や方向性はありながら、迎合の誘惑と闘いつつ、進むべき道を開くドアノブを握る。しかし匠によって既に細工され空回りするドアノブは、何万人が集っても、未だに空回りするだけである。この報われない状況の無力感は、やがて楽園の擬死(ぎし)状態を招くのではないかと考えてしまう。擬死とは、外敵に襲われた動物が行う行動や反応の類型で、動かなくなってしまうこと、俗にいう死んだふりである。楽園が危機的な状況に陥った時に、権力からは「想定外」と一掃され、終わるだけだろう。楽園人(らくえんびと)が擬死を演じる危険性はあまりにも大きい。
あるべき姿、原形を留める感覚は、以外にも鈍感である。楽園ではぬるま湯が熱湯に変化するのにも気づかないかもしれない。かつて高田渡の歌に、「値上げ」というのがあった。「値上げはぜんぜん考えぬ」から始まり、以下の様に次々変化していく。「〜はありえない、おさえたい、認めない、今ではない、さけたい、せざるを得ない、検討中である、時期が早すぎる、時期は考えたい、消極的であるが、やむを得ない、ふみきろう」(作詞:有馬敲)である。これも一種の政治的圧力変化で、匠の技と言える。ましてや消費税8%になった今、実感を持って聴こえてくる。2014年、原発や基地そして改憲と、次々にかけられる圧力に対して、警戒心を怠ってはいけない。そして楽園人に告ぐ「モウ、シンダフリハヤメロ!」。そう言う私も、この楽園の住人の一人である。
(The Gallery Voice 57ダウンロード)
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